2021年9月26日 日曜日に羽田を出て、7時間45分のフライトで、少し涼しくなった日本から常夏のジャカルタに舞い降りた。
ジャカルタの気温は、日本人の私の感想では、真夏では無い。
ジャカルタは、年間通して1日の最高気温が、32℃から33℃で、最低気温が、24℃から25℃である。
日本の夏の定義の最高気温が30℃を越えたのが真夏日で、35℃を越えたのが猛暑日からすると、真夏日とまりである。
日本の最高に熱い、本格的な真夏にならない。
一年中一定気温なので、年中猛暑日がずっとだと、体力的にきついと思う。
一歩手前の気温なので、過ごせると思う。
飛行機内の寒さ対策で、夏仕様の服装で無い私にとって、空港内の移動通路は、熱い。
空港内にあるゴムベルトの動く歩道は、止まったままで動かない。
これは、前回の5月の時もそうだったので、動く歩道はずっと動かないのだろう。
止まったゴムベルトの足元の悪い所を歩いて、入国手続きの場所へ移動する。
途中トイレがあったので、入った。
5月来た時と同じく、小便器の形状が危険な状態である。
凄く緊張を要求される状態になっている。
男性ならわかると思うが、プラスチックのガードが危険な状態でセットされている。
全神経を集中して、用を足さなければ、とんでもないことが起こると思う。
長時間のフライトで疲れた体に緊張感が走る。
無事、用を済ませて、トイレを出た。
インドネシアの滞在が少ない私は、このタイプのトイレは、スカルノ・ハッタ空港以外で見たことが無い。
最初にPCR検査を受けないといけないので、先へと急ぐ。
出発の数日前に在インドネシア日本大使館のメールより、当初拘束ホテルで最初のPCR検査を受ける決まりが、空港で1回目のPCR検査を受ける決まりに変更になったとメールが来た。
毎日のように状況が変更されるので、特には驚かない。
在インドネシア日本大使館の連絡メールの設定は、今の時期のインドネシアは必須だと思う。
PCR検査の申請窓口に来た。
警備員の人があいている席を指さして、間を開けて4人かけの椅子に2人づつ座るように言っている。
今回の指示は、インドネシア語で回りにいる人たちに指示を出している。
言葉が分からなくても、雰囲気で分かるレベルだと思う。
写真右側奥のガラスのパーテーションで、切りられている所が受付。
提出物は、パスポート、2回のワクチン接種証明書、72時間以内のPCR検査の陰性証明書、機内で書いた黄色の健康申告カードと航空チケット。
国内便だと航空チケットは、乗る時以外は重要な物では無いが、国際便では航空チケットは、重要書類のひとつです。捨てないように。
(KITSの申請か、何かの時に必要になった時があったので、びっくりしました。)
確認が、終わるとQRコードが印刷されたレシート形状の紙を受取る。
次の、PCR検査を行う場所に移動して、今度は縦一列の椅子に座って待つ。
SWAP(綿棒)によるPCR検査を両方の鼻の穴から受ける。
普通のPCR検査と比べて、鼻奥でなく手前で終わり全然痛くなかった。
終わると先ほどもらった、QRコードのレシート状の紙にスタンプを押してくれた。
PCR検査済的な文字だと思う。
さらに奥に移動して、入国審査受付へ移動。
ここでもパスポート、2回のワクチン接種証明書、72時間以内のPCR検査の陰性証明書とスタンプを押されたQRコードのレシートを提出。
そして、私の場合は、KITS(短期就労ビザ)を提出。
マスクを外して、パスポートの顔との確認。
両手の指1本づつをセンターに当てて、指紋認証。
全て、「OK」で入国ゲートを通過して、手荷物受取へ移動。
荷物がターテーブルより降ろされていた。
自分のスーツケースを探して、受け取り出口に移動する。
出口の手前で、機内で書いた税関申告書を出して、出口へとさらに移動。
自分手配のインドネシア政府指定の日本でいう8日間の待機ホテルへ向かう。
その交通整理をしている現地人スタッフにホテル名を言って、案内してもらう。
その時に貴重品であるパスポートを現地人スタッフに渡す。
凄く不安があるが、前回5月の時もそうだったので、パスポートを渡した。
日本のように政府手配の統一のホテルで無く、各自手配のホテルの為、普通の乗用車に分散して、ホテルへ移動。
少し待って、無事ホテル行きの車に乗れて、空港ともお別れ。
羽田空港で案内のあった、スマートフォンに入れるアプリは、関係なく入国完了。
【ちょっとした豆知識】
インドネシアの表玄関である「スカルノ・ハッタ国際空港」の名前の由来。
インドネシア初代大統領のスカルノ氏と同じく初代副大統領のモハマッド・ハッタ氏の名前を第2代スハルト大統領が命名したと認識している。
30年前にインドネシアに空港建設の仕事で来た時、まだスハルト大統領が在任だった。
私のいた空港に一度軍用ヘリで、スハルト大統領が来たので、このような事を覚えていた。
初代スカルノ大統領は、日本でおなじみのデビ夫人の旦那様である。
当時現場で、初代大統領の奥様の中に日本人の人が居たよと話しかれられていて、そこことも懐かしい。
スカルノ大統領の名前が、日本のように家族名と氏名の2つから成り立つが、スカルノ
の1つで成り立っているので、珍しいと思っていた。
インドネシアでは、1つだけで名前が成り立つことがあると聞いて珍しいと当時思った。
のりお
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