自主待機ホテルの6日目の朝が来た。
昨日夜まで、携帯電話アプリで毎日の健康状態の報告と居場所確認の報告とテレビ電話機能で、本当にいるか画像確認の3本立の監視下に居た。
インドネシアを出国する時に1回、日本に入国して1回、待機して3回のPCR検査。
2週間ちょっとの間に5回のPCR検査。実質は、12日間で5回のPCR検査。
オリンピック選手含めて、こんなにもPCR検査を受ける人種が、居るだろうか?
何はともあれ、コロナの喪が明けて、ようやく一般人になれた。
自主待機ホテルを出て、中部空港へ渡る陸橋前で、持ち主の居ない小さいスーツケースとリュクサックの写真を1枚撮影。
大きなスーツケースは、宅急便で一足先に帰宅。
人の少ない道路から陸橋へ移動。
陸橋の中央あたりから道路風景を撮影。
合成写真かと思うくらい、車が居ない。
同じく反対側にリターンして、撮影。
本当に誰もいない。
時間は、日曜日の朝の8時過ぎ。もうそろそろ起きて活動しても良い時刻。
ジャカルタの宿舎を早朝3時に出た時でも、少しは車はいた。
このくらいの混み具合だとコロナの心配も少ない。
中部空港の入り口まで来た。
搭乗口が、第1ターミナルと第2ターミナルの2つある。
どちらか分からない。
中部空港の搭乗口内は、乗り継ぎで、よく利用していたのでわかるが、外からの登場は、セントレア空港としてオープンした時に1度利用しただけで、よくわからない。
周りに人もいないので、人の流れも無い。
飛行機会社からメール案内が来ていたので、そちらを見てみる。
搭乗口2番だけで、ターミナル番号は書いていない。
時間は、3時間以上余裕を持って出てきた。(余裕ありすぎ。)
搭乗口2番から今日は、2を選択しようと第2ターミナルを目指す。
長い連絡道を歩いて、第2ターミナルへ到着。第2ターミナルへ入る。
何か変。電気が消えて、人気が無い。
国内線出発の電光掲示板があった。
見てびっくり、国内便の全便が第1ターミナル。
国際便も第1ターミナル。1便だけ第2ターミナル発がある。
出来れば、全便第1ターミナルで、第2ターミナルを閉鎖してくれていたら嬉しかった。
来た連絡道を引き返す。
かなり長く。先の第1ターミナルの入り口が見えない。
第2ターミナルの利用率から言ったら、これくら人影が無いのが正解だったのかも。
すれ違ったのは、1組の家族だけだった。
ホテルの部屋に閉じこもっていたので、運動不足の体には、良い運動になる。
時間も消費して、ちょうど良かったとプラス思考で、第1ターミナルへ移動。
第1ターミナル入口に警備員の人がいた。
案内板がいっぱいあるので、国内便の荷物預け口まで普通に行けそうだったが、日本語が話したかったので、警備員の人に国内便の荷物預け口の場所を聞いた。
警備員の人が丁寧に国内便の荷物預け口の場所と道順を教えてくれた。
ジャカルタにいる時にこの長い説明の会話が出来なくて、ストレスを感じていた。
説明が終わって警備員の人にお礼の言葉を言って、立ち去ろうとした時にハプニングが起こった。私がしたことなので、ハプニングを起こしてしまった。
「ありがとうございます。」と言ったつもりが、
咄嗟に出てきた言葉が、インドネシア語の Terima Kasih (ありがとうございます)の 「Terima」の部分。気が付いて「Kasih 」までのフルまでは言わなかった。
待機ホテルの14日間毎日テレビ会議でインドネシアの人と会議をしていて、現地の人は、自分の発表が終わると最後に Terima Kasih と言う。
ジャカルタの生活の中でも何かしてもらうと直ぐに Terima Kasih (ありがとうございます)と言う。
その習慣が身についてしまって、とっさに「ありがとうございます。」がTerima Kasihになってしまった。
日本の生活において、「ありがとうございます。」と言う時なぜか「すみません。」と言いていた気がする。
なので、「ありがとうございます。」がTerima Kasihになってしまっのか?
私の頭は、洗脳されやすい頭なのかもしれないと思った。
教えられは保安検査場を目指して、スーツケース押してたどり着いた。
土産物屋さんの店先に「赤福」が置かれている。
中部空港経由で帰るのだから「赤福」のお土産は、必要だろう。
でも、「赤福」誘惑に負けて買ってしまった。
「赤福」をさげて保安検査場を目指した。
今回のジャカルタへ入国から日本に帰国した間に、金属探知機ゲートにかなりの確率で、引っかかってしまった。今まで、金属探知機に引っかかった記憶が無い。
何がNGだったかと言うとズボンのベルトのバックル。
どちらかと言うと普通サイズのバックルよりシンプルで小さい。
金属部分も少ない。なのにどうしてと毎回疑問を感じていた。
なので、今回は、最初からベルトを外して、金属探知機ゲートを通過した。
見事に何も反応しない。
国内便と国際便の金属探知機ゲートの感度の違いとかあるのだろうか?
まだ、調べた事は無い。
金属探知機ゲートを通る為、一時預けた小物とリュックを受取り、搭乗口まで移動する。
今回は、搭乗口が2番で、第1ターミナルの一番端になり、また長い距離を歩く。
今回は、余裕時間がかなりあるので、どんなことが起ころうとも全然気にならない。
時間的余裕がある時は、精神的ストレスがほぼゼロなのを体感する。
第2搭乗口へ到着。
時間が早くて、まだ誰もいない。
国内便に乗って、定刻出発。定刻到着の快適な空の旅を終える。
地元空港からリムジンバスで、地元の中心地の私鉄駅に向かう。
私鉄駅について、昼前の食事時だが、コロナ禍の中スーツケースを転がして食べに行くのは、少し気が引ける。
なので、昼抜きで、次の公共機関である郊外電車に乗って家に帰ることにする。
電車に乗って、半分以上過ぎたあたりで、LINE連絡を入れてみた。
ちょうど、家に帰ったところなので、駅に迎えに来てもらえる。
目的の駅について、車に乗って家に到着。
地元の空港に着いて、3時間近くかかって家に着いた。
ジャカルタの宿舎を7月17日午前3時(ジャカルタ時間)に出発して、自宅に着いたのが、8月1日午後3時(日本時間)。
時差の2時間を無視しても、移動に半月も掛かるとは、コロナ禍の体制に対応するのには、時間とお金がかかる。