毎日のように在インドネシア日本大使館から情報メールが来ていたので、状況は大変だと緊急活動規制になってからは思っていた。
空港に来て、航空チケットと一緒に便名指定で待機ホテルの変更が出るとは、想定していなかった。
中部空港周辺ホテルに泊まるのが分かっていれば、その周辺で残りの4日間のホテルは取りたかった。
家に帰るのにかなり近くなる。
それをまたわざわざ、飛行に乗って成田に逆戻り。
今、色々言っても何もならないので、ましてやジャカルタに居てはどこにも手配が取りにくい、とりあえず飛行機に乗って成田へ。
ネット予約で、席は窓際の非常口の所を取った。
ここだと窓からの写真が取れて、前に席が無いのでトイレにも行きやすい。
ただ一つ欠点があると言えば、目の前がトイレ。それも2つも。
1つトイレがあるのは認識していた。でも2つもあるとはシートレイアウトを見逃していた。
もう一つこれは欠点では無いかもしれないが、トイレの壁にCAの人のシートがあり、飛行機が離発着して安定するまで、CAの人と面と向かって座る状態になる。
CAの人は、毎日の常務だが、こちらはこのような情状は余り慣れていない。
離陸して安定飛行になるまでの短い時間だが、妙な緊張かテレが入る。
少しして朝食の配布が始まった。
和食が白身魚の甘酢かけと洋食がチキンの …… と言ったとたんに「和食」と答えた。鶏肉が苦手な私にチキンの言葉を聞いた時点で選択肢は決定してしまう。
Ayam(アヤム)鶏料理が多いインドネシアでの食事は、少し大変だった。
現地の人にTida Suka Ayam. (鶏が嫌い)と言うと「O~h !! 」とよく驚嘆されてきた。
イスラムの人は、Babi (バビ)豚肉を食べないのにその都度思っていた。
機内食が配られて来た。
久しぶりの日本食は、楽しみである。
白身魚の甘酢あんかけをまず食べる???
見た目凄く美味しそう。ガルーダで無くANAの和食の意識で食べてしまった。
隠し味にトロピカルさが感じられる。野球で言うとボール1個分外れている。
甘酢タレのダシが少し外れたみたい。
もしかしてインドネシア人の方の和食に合わせた、味付けかもしれない。
こんな早朝便に食事を載せるのに、大勢の人の努力があると思うと多少のことは関係なく美味しく頂けた。
インドネシア・日本の時差2時間を修正為、腕時計の針を2時間進めた。
スマートフォンは、勝手に時間設定にジャカルタ時間と日本時間の両方が表示されている。賢い物だ。
昼食の軽い食事(ホットドック)を頂いて、日本時間15時50分成田に無事着陸した。
2か月近くぶりなので、まだそんなに感動は無い。
まず、成田空港について、PCR検査の順番まちで、折り畳み椅子に座って待つ。
検査合格者は、専用アプリを入れて動作確認をして、実際に受信できるか確認等をして一連の作業を済ませる。
詳しくは、書かなかったが、3~4時間は一連の作業でかかっている。
中部空港行きの説明がされる。急遽決まった事みたいで、お互いにあたふたしている感がある。
21時のチャーター便の出発まで時間があるので、19時頃にパン、おにぎり、飲み物を用意してくれた。
その時にポケットの財布の中身が全てルピアしかないことに気が付く。
買えと言われてもスーツケースを開けないと日本円が出てこない。
次回の良い教訓だ。
50人乗りくらいの大型バスに15人づつ間隔をあけて、待機している飛行機移動。
時間が掛かったが最終の中部空港行きの飛行機に座って、窓の外。
定刻21時ちょうどに離陸して中部空港に1時間ちょっとで着陸。
相変わらず、飛行機は、早い。成田―中部が1時間程度で移動できてしまう。
バスに分乗して近くの待機ホテルに向かった。
急遽だったとの事で、コンビニ弁当と飲み物を受取って部屋へゴール。
日本時間23時15分。 長い旅だった。
待機ホテルでの拘束条件は、色々言われているが、この場では割愛します。
色々な人のお世話になりながら、とりあえず日本に戻ってきました。
Terima kasih untuk bantuannya . (トゥリマ カシ ウントゥック バントゥアンニャ)お世話になりました。